長男が生まれたとき、私は病院の当直で、妻から陣痛が始まったとの連絡を受けて病院住宅に帰ったのだが、まだ間がありそうだったのでラーメンを作って一人で食べ、また病院にもどった。朝起きてみると、当直の看護婦が、奥さんが産科に入院しましたよ、と知らせてくれた。妻はあてにならない夫を見限り、車で1時間ばかりのところにある実家に電話して母に来てもらったのであった。長男は午後になって生まれたが、そのときも私は亡くなった患者さんを見送りに裏口に出ていて連絡がつかなかった。一人の人間が死に、一人の人間が生まれる。私は自分の子どもが生まれた喜びよりも、生命連鎖の不思議をしみじみと実感していた。次男の出産のときはさすがの私も妻を車に乗せて入院させたのだが、生まれたときはまた死者を送り出していて連絡不能だった。このとき亡くなったのはまだ40歳になったばかりの男性で、3日前に脳出血を起こした患者だった。妻と小学3年の男の子が残されていた。廊下で泣いている男の子の背を、がんばれよ、と叩いてやりながら、私はそこに3歳で母親に死なれた自分の姿を重ねていた。医者の宿命とはいえ、私は二人の息子たちの誕生の日、生命のほかなさをこれでもか、これでもかと思い知らされていたのだった。